殺される犬はどうしてそこに生まれてくるの?

Hello~,ぴんくだよん☆

2014年はブログ更新年だなんていいながら、
今年も残すところあと1/4になっちゃってて・・・。

き、き、き、今日はきちんと頂いていた質問のお返事を書きたいと思います。
(ずっと前に頂いたメールなの、遅くなってごめんなさい)

・・・・・

「毛皮を生きたまま取られる犬の画像を見て、
とても苦しんで死んでいくのですが、
この犬はどうしてこのような殺され方をするんですか?
 犬が自分でこのような死に方を選んでいると言うのはなぜですか?」

・・・・・

はーい、ではぴんくの表現力で可能な限り
お伝えしていきたいと思いまーす☆

最初にペットとして人のそばに生まれるワンコと
毛皮や食用で亡くなっていくワンコの魂では魂の出どころが違うのね。

人と暮らす犬たちは人のそばで暮らすことで愛されること、
そして喜怒哀楽なんかを体験し、学びます。

ペットになる犬の中には愛すると言う学びがある子もいるけど、
基本、犬たちは人のそばにいる時点で“愛する”は体現しているので、
愛されるを経験しに来ることが多い印象。

もう少ししっくりくる表現をすると、
人の愛すると言う経験をサポートしにきている”と言う言葉かしらー。

ペットチームは人と似ていて魂のレベルや、
(レベルが違うと言うのは高い低いではなく目的が違うの意味です)
生まれてくる目的も犬それぞれに千差万別。

同じ地球にレベルの違う犬達が一斉に生まれてくるのが面白いところと言うか、
3次元とよく言われるこの世の面白いところなんだよね。

だから学びの仕組みや魂のプロセスも人に近くって、
ペットの動物たちは野生動物や、
これから話をする毛皮などであやめられる犬たちと違い、
カルマを持つ子や自我の解消をしている子、
自分自身の学びや成長がある子もたくさんいるの。

じゃあ、同じ犬でも毛皮や食用で生きたままや残酷な死なされ方をする犬たちは
どうしてそんな犬生を選んだのか。
(犬として表現しますが他の動物でも以下の内容は共通しまーす)

ペットの犬たちより抱えるカルマが大きいのか?
前世でろくでもない犬だったのか??

100%ではないけど、けっしてそんな訳ではなく
多くの死なされて行く犬の場合はどちらかと言うと、
鉱物や植物に宿る精霊に近いんだ。
ぴんくには天使や妖精みたいな純粋で奉仕するだけの存在に見えるのね。
(姿かたちは見えなくて、
子どものような無邪気さと愛そのものって色や温度がわかるの)

その存在(魂)そのものに喜怒哀楽や善悪の判断、識別がないので
人や人類に必要な経験がある場所を天国(仮に)で見つけると、
(毛皮を作る、動物を殺して生きる、そんな現実を知り動物と人の共生に目覚めるなど)
ピョーンと犬の体に入って死なされる体験をすると言えばいいのかな。

その理由は結構単純で魂が入らないと、
犬の体そのものが機能しないからなのよね。
その犬が生まれてからずっとその犬の体にいた魂もいるし、
死なされる間際にすっと犬の体に入っていく魂もいるし。

彼らにとっては殺される、痛みがあると言う事が
生まれおちる場所の選択の基準にはならなくて、
人にとって学びがある、すなわち愛がある場所であれば、
反射的にその場所に生まれるように機能するの。

信じられないかもしれないけど彼らは愛にしか反応しないから
そう言う過酷な場所に生まれるの。

人にはなかなか感じられない細やかな粒子なんだけど、
どんな場所にも愛があるんだよね。
そして愚かに見える人の行為も小さな学びの一歩、人類の小さな前進で、
その学びが愛なんだと思うの。

写真や動画で動物たちの痛々しい姿を見る時、
感じる気持ちは人それぞれだと思うの。
犬たちはその気持ちを感じてもらうために生まれおちてきたのだから、
どんな気持ちを抱えたとしてもそれを認めて、許して、手放して。
そして愛へと還元してゆけば犬たちに降りた魂はきっと
犬と言う形、悲しい結末と言う姿(人にはそう見える)をとらずに、
愛の光としてみんなのそばに寄り添うと思うのね。

ちょっと抽象的な表現になったけど、
彼らそのものが光で愛の存在だから、
言葉で限定する事ができないんだ、悪いね。

似たような質問が寄せられていて
同じようなお返事になるかもだけど、
いろんな例をお話にしていったほうがわかりやすかなぁと思うので
またUPするね、きっと年内に!!

あ、そだ質問が全然UPされない人はメールなくしたかもなの!?
も一度メールしてね、ごめんね
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それではまたね、ぴんくでした!