Happy Holidays!!

はーい、みなさんメリークリスマス! 模様替えをしたので今年はツリーも出ない平常運転の我が家です。 去年まで出してた動物にも安全なクリスマスツリー フォスター犬のLULUはまだ我が家にいます。 病院からの帰り。3日間治療のため入院してました。 新しい一時預かりさんが見つかってからフィラリアの治療をしようと思ってたけど、ちょっと先になりそうなので先週、一度目のイミトサイドを打ってきました。 うちの家はフィラリア陽性、老犬、大型犬、怖がりの犬、要トイレトレーニングの犬がよく来ます。 ウチから何かを申し出たことはないんやけど、何度か引き受けていると勝手にシェルター(保健所)やコーディネーターさんのほうでそー言うケースの犬とタグ付け(?)されているからです。 LULUはほんとーに聞き分けの良い子で、今はフードアグレッシブも完全に克服し、まだ自由にはさせてないけど、猫にも慣れて過剰な反応が少なくなって来ました。 自分から犬に近づいてくるきんぎょ以外の猫とは関係が穏やかです散歩以外は部屋に入れたままなので、気晴らしに大好きなおもちゃをたくさん☆ 遊んでる時に目があうとおもちゃを持ってきてくれるんです、かわいわー! あと、こないだ初ブラシをしたら、それまで元気いっぱいやったのに途端に、この顔! この気持ち良さそうな顔!魔法にかかったみたいに一瞬でうっとり顔になるんです。あーーー、もう可愛くてしかたない。毎日、LULUには笑わせてもらっています。 保護犬って怖い、汚い、問題があるって思ってる人がアメリカにもまだまだたくさんいますが、決してそんなことはない。 不安でいっぱいやった子や、混乱していた犬がどんどん人の生活に溶けて、馴染んで、不思議やけど笑顔が増えるんですよ、犬がね。するとこっちまで笑顔になってしまう、嬉しさのあまり時にはウハハーと大声で笑ってしまいます。 今日は前回のブログでトレーニングの質問へお返事しようと思ってたのに、LULUの可愛さを書いて時間が来てしまいました、まだ今度。 うちはトレーニングはブログや本ではなく、直接トレーナーさんに教わるのが一番良いと思っているので、あまりお返事らしいお返事は出来ないと思いますが^^;犬にとって一番必要なのはトレーニングと言うよりも、 時間と平穏な場所かなと思っています。 そんなこんなでフィラリアの治療も始まり、しばらく安静が必要ですが、今年のLULUは平和なクリスマスを過ごしていまーす!

節分の鬼は実在してた?

やっほー、ぴんくだよ。 ぴんくの住んでいる国では本日2日はグラウンドホッグディと言う動物に あとどれくらいで春が来るか教えてもらう日なの。 日本では日付が変わって3日、節分だよねー。 恵方巻きってどんなの?食べてみたいなー。 節分で悪モノを務める“鬼”ってさ、 名前は違うけど、 実はけっこう世界中に似たような容姿のキャラクター(?) がいるんだよね。 メールや電話もない遠い昔の時代なんだけど、 やはり人類の思想は世界的に繋がってたんだなーって思うの。 でね、この鬼なんだけどまんざら想像の生き物ってわけじゃあないんだ。 鬼だけじゃなくて神話なんかに出てくる人魚や半身馬の人とか。 日本なら鬼以外にもかっぱとか。 そう言う動物と人とのMIXが、 実世界にも存在していた時代が実はあったのです。 前のブログに「人は人にしか生まれ変わらない」って書いたけど、 そのずーーーーーーーーーーーーーーーっと前には、 動物や精霊から人間に生まれ変わる移行期があって、 その時代には動物の性質や体質を持って生まれてきた命がいたのよね。 今は人の進化も進んでいたりほかの事情で、 極端に容姿に動物が含まれる人ってのはなかなか見ないんだけど、 動物や精霊から転生をしてまだ回数が少ない人って言うのは結構いるんだよね。 今年に入ってから動物スピリチュアルじゃなくて、 「どうして戦争がなくならないの?」、 「残虐な人が多いんですか?」と言う質問がたくさん寄せられていて、 そのお返事にもなるかなぁと思うので、 次回からは数回に分けて その動物や精霊から転生をしてきて新しい人たちについて お話をしたいと思います。 たくさんの悲しいニュースを見かけるけども、 悲しみすぎたり、怒こり過ぎたり、 正義や常識の元でも「地獄に堕ちろ」なんて人につぶやいてみたり。 そうやってネガティブな人の行動やエネルギーに 自分の内側を翻弄されないようにしないといけないなーって、 外に出しちゃった言葉や気持ちや言動のエネルギーが、 悪物のエネルギーの供給になっちゃって 悪循環にもなるんじゃないかなってぴんく思うの。 翻弄されるっていうのは多かれ少なかれ それに反応するネガティブな部分や鬼の要素が まだまだ自分の内側に存在しているって事なんじゃないかな。 節分を機に自分の内側の鬼は外にしていこうかなーー?どうかな?? ではそろそろお昼寝の時間なのでぬいぐるみに戻ります。 またねー、ぴんくでした!

2015年の干支の未(ひつじ)を見てみよう♪

HAPPY NEW YEAR!! 今年の干支の未(以下ひつじ)にちなんで今日は、 ひつじがスピリチュアル的にどんな動物なのか、お話しするね☆ ※個々のひつじには違いがあるので、 ここでは相対的なひつじについて書いていきまーす。 2013 04 26 Sheep / Keith Laverack まず、ひつじの持っているオーラ?エネルギーは 姿と同じようにとってもふわふわしていてやわらかいの。 多くの草食動物は優しいオーラが強いのだけど、 その中でもひつじの持つ優しさはTOP3に入る動物で、 暖かさと優しさとそれよりちょっと少なめでユーモアのセンスがあるの。 でね、このひつじは霊的に神さまにとっても近い動物で、 鉱物や植物に宿る精霊よりももう少し神さまの使命に忠実と言うか、 神さま家族の直系?・・・一員で、 エンジェルの精神の要素がとっても強い、いわば天使的な動物なの。 そしてひつじと言えばこの季節、 シープスキンのブーツなんかが世間で流行っていて、 このブーツは毛皮論争の対象にもなってるんだってね。 ひつじ自体はこのことについてどう感じているのか? エンジェル精神を持つひつじも このブログで書いた精霊に近い犬たちと同じように、 死ぬ事に恐怖がない生き物なのね。 人の目には見えないけど、 いつも神さまの隣にいるひつじたちには生死の境がないし、 魂を中心に生きているから体に執着がない=痛みや死が怖くないんだよね。 だからと言ってシープスキンやウールのセーターを粗末に扱ったり、 無駄に買いそろえて良い訳じゃなくって、 大切に使う、感謝して使うと言うことが何よりも大事。 「着ちゃダメ、買っちゃダメ」とひつじを守るために ほかの人に怒りを向けてカッカしてる人や、 人類をおろかだ、悪者だと悲観している人より、 たとえそれが毛皮であっても、 物を大切に扱っている人の方が霊的に目覚めていると言うか、 とってもエネルギーがひつじ(おだやか)なの。 (あ、でも毛皮反対に反対と言う意味じゃないの、ややこしいんだけど) 特にひつじのように神さまに近い動物の肉体は、毛や皮などは トランシーバー機能がすぐれていて、 たとえ製品と言う形に変わっても人の喜怒哀楽をあっちの世界に 伝達する役割をしているんだよね。 だからもし家にシープスキンがある人は 「足を温めてくれてありがとう、大事にするね」とか 「外出中の私を守ってくれてありがとう」と言う気持ちを持って 大切にしていれば愛のエネルギーが増えて、 どんどん個人や人類や地球の霊的レベルが向上して 動物たちと楽しく優しく暮らす未来にも近づいてゆくことに繋がるの。 だから決して人に野蛮だと言われるような行為ではないんだよ。 ただ、安物で劣悪な環境で育てられたひつじたちの製品はやっぱ エネルギー的にもくすんでいて良くないんだよね。 だからそう言う商品を買わないと言う態度でひつじたちを守ると言うのは とっても賢い消費の仕方のひとつだと思うんだ、ぴんくは。 それにいくら安くてかわいくても、 こう言うネガティブなエネルギーを発している物を身につけていると、 ほかのネガティブなモノやトラブルを寄せ付けちゃったりもするし・・・。 だから良いものをただのファッションだけでなく、 一生物として大切にそばに置いてあげてほしいの。 中にはいろいろな情報や人生経験から もう毛皮製品が身につけれなくなった人もいると思うけど、 そう言う人はまたひつじの暖かなエネルギーとは別のエネルギーや波動に 異物反応みたいなものを起こしてるんだよね。 食肉と一緒で毛皮を身につけると言う行為は 人の進化と共になくなってくる行為のひとつ。 でももうあと少しは毛皮を使う人、必要な人がいるのが、 地球の自然な進化の流れなのかな。 でもこの数年で毛皮に変わる機能や見た目を備えた製品が ドンドン開発されていくから、 その進歩の一つ一つを楽しんで味わって、 地球での経験を魂に刻んでいけたらいいなーってぴんくは思うんだ。 未来には人と動物が共生する時代が必ずある。 すべての生き物はその事を知っていて、 人の成長をサポートしているの。 でも動物たちは「急いで」とは言わない。 人が迷い、間違いに見える行為をしながら歩むその一つ一つの経験が、 人グループの、そして動物や生き物を含む地球グループの 霊的な進化には欠かせない事をよくわかっているからなんだよね。 このへんはまた近々ブログでUPするね☆ ひつじは神さまに近い生き物。 ひつじが流行ったり、注目されると言うのは無意識の中で人々が 神さまを求めたり(特定の宗教を示すものではありません)、 霊的に目覚めようと願う時が多いのよね。 ひつじって目覚めのイメージキャラクター? 新しい時代の幕開けを伝えるメッセージそのものだったりもするの。 去年末の段階で、地球の多くの人たちが霊的に目覚め、 霊的な感性で生きていく準備が整ったから、 きっとこれからひつじを目にする機会がどんどん増えてくると思うわ。 今年がひつじ年なのも決して偶然じゃないんだよね、きっとね。 2015年、ひつじ年。 ひつじの毛のような雲にまだ覆われているけど、 雲の中には優しくて陽気な太陽がいつもあります。 きっと優しさにたくさん触れる1年になると思いまーす。   読んでくれてどうもありがとう。ではまたね。 本年もどうぞよろしく、ぴんくでした☆  

BYE BYE 2014

HELLO~、ぴんくだよん☆ 間に合わないかと思ったけど、 2014年ギリギリに戻ってきたわ、話せるぬいぐるみに♪ 来年はみんなどんな年に、 動物たちと人とのくらしはどのようになるんだろう。 ふふふ、楽しみーー。 いろいろな準備が整ってきたみたいなので 来年はぴんくのブログでも 読んでくれる人の何かのきっかけや参考になることを たくさーーんUP出来ればと思ってます。 では今度は2015年にねー。   LOVE☆ぴんく

殺される犬はどうしてそこに生まれてくるの?

Hello~,ぴんくだよん☆ 2014年はブログ更新年だなんていいながら、 今年も残すところあと1/4になっちゃってて・・・。 き、き、き、今日はきちんと頂いていた質問のお返事を書きたいと思います。 (ずっと前に頂いたメールなの、遅くなってごめんなさい) ・・・・・ 「毛皮を生きたまま取られる犬の画像を見て、 とても苦しんで死んでいくのですが、 この犬はどうしてこのような殺され方をするんですか?  犬が自分でこのような死に方を選んでいると言うのはなぜですか?」 ・・・・・ はーい、ではぴんくの表現力で可能な限り お伝えしていきたいと思いまーす☆ 最初にペットとして人のそばに生まれるワンコと 毛皮や食用で亡くなっていくワンコの魂では魂の出どころが違うのね。 人と暮らす犬たちは人のそばで暮らすことで愛されること、 そして喜怒哀楽なんかを体験し、学びます。 ペットになる犬の中には愛すると言う学びがある子もいるけど、 基本、犬たちは人のそばにいる時点で“愛する”は体現しているので、 愛されるを経験しに来ることが多い印象。 もう少ししっくりくる表現をすると、 “人の愛すると言う経験をサポートしにきている”と言う言葉かしらー。 ペットチームは人と似ていて魂のレベルや、 (レベルが違うと言うのは高い低いではなく目的が違うの意味です) 生まれてくる目的も犬それぞれに千差万別。 同じ地球にレベルの違う犬達が一斉に生まれてくるのが面白いところと言うか、 3次元とよく言われるこの世の面白いところなんだよね。 だから学びの仕組みや魂のプロセスも人に近くって、 ペットの動物たちは野生動物や、 これから話をする毛皮などであやめられる犬たちと違い、 カルマを持つ子や自我の解消をしている子、 自分自身の学びや成長がある子もたくさんいるの。 じゃあ、同じ犬でも毛皮や食用で生きたままや残酷な死なされ方をする犬たちは どうしてそんな犬生を選んだのか。 (犬として表現しますが他の動物でも以下の内容は共通しまーす) ペットの犬たちより抱えるカルマが大きいのか? 前世でろくでもない犬だったのか?? 100%ではないけど、けっしてそんな訳ではなく 多くの死なされて行く犬の場合はどちらかと言うと、 鉱物や植物に宿る精霊に近いんだ。 ぴんくには天使や妖精みたいな純粋で奉仕するだけの存在に見えるのね。 (姿かたちは見えなくて、 子どものような無邪気さと愛そのものって色や温度がわかるの) その存在(魂)そのものに喜怒哀楽や善悪の判断、識別がないので 人や人類に必要な経験がある場所を天国(仮に)で見つけると、 (毛皮を作る、動物を殺して生きる、そんな現実を知り動物と人の共生に目覚めるなど) ピョーンと犬の体に入って死なされる体験をすると言えばいいのかな。 その理由は結構単純で魂が入らないと、 犬の体そのものが機能しないからなのよね。 その犬が生まれてからずっとその犬の体にいた魂もいるし、 死なされる間際にすっと犬の体に入っていく魂もいるし。 彼らにとっては殺される、痛みがあると言う事が 生まれおちる場所の選択の基準にはならなくて、 人にとって学びがある、すなわち愛がある場所であれば、 反射的にその場所に生まれるように機能するの。 信じられないかもしれないけど彼らは愛にしか反応しないから そう言う過酷な場所に生まれるの。 人にはなかなか感じられない細やかな粒子なんだけど、 どんな場所にも愛があるんだよね。 そして愚かに見える人の行為も小さな学びの一歩、人類の小さな前進で、 その学びが愛なんだと思うの。 写真や動画で動物たちの痛々しい姿を見る時、 感じる気持ちは人それぞれだと思うの。 犬たちはその気持ちを感じてもらうために生まれおちてきたのだから、 どんな気持ちを抱えたとしてもそれを認めて、許して、手放して。 そして愛へと還元してゆけば犬たちに降りた魂はきっと 犬と言う形、悲しい結末と言う姿(人にはそう見える)をとらずに、 愛の光としてみんなのそばに寄り添うと思うのね。 ちょっと抽象的な表現になったけど、 彼らそのものが光で愛の存在だから、 言葉で限定する事ができないんだ、悪いね。 似たような質問が寄せられていて 同じようなお返事になるかもだけど、 いろんな例をお話にしていったほうがわかりやすかなぁと思うので またUPするね、きっと年内に!! あ、そだ質問が全然UPされない人はメールなくしたかもなの!? も一度メールしてね、ごめんね それではまたね、ぴんくでした!